冥府

日本陸軍 第二師団 歩兵第十六連隊 新発田 あやめ会 戦記 戦死者名簿 ガダルカナル 雲南 ビルマ ジャワ ノモンハン 遺骨収集 政府派遣

未発表著作 冥府の戦友と語る

序文

本書「冥府の戦友と語る」の著者である長谷川栄作氏が歩兵第十六連隊に入営した昭和十二年一月一日から終戦までの歩兵第十六連隊の戦いはまさに、日本陸軍の戦いを代表する戦いばかりです。
中国・ノモンハン・ジャワ・ガダルカナル・ビルマ等の激戦と言われている戦いの連続です。
その激戦の中でどのような精神状態で兵士が戦ったのか、そして戦友はどのような思いで死んでいったのかなど、実際戦い抜いた人でなくては決して書くことの出来ない貴重な記録である。

今までの戦史や小説とはまったく異なる記録である。
やっと戦後五十八年を経て時代背景特に当時の心情を明らかにして、戦場で兵士がどのように戦い抜いたのかが書かれている本を読む事が出来ました。
兵士が戦えるのはその背景に、使命感・責任感・全国民的な絆、期待であること、死を目前にした兵の行動は無心の極地(極致?)にあったことなどその実相を知ることが出来ました。

「過去の史実を通し、是非を取捨選択して教訓として健全なる国家民族の将来に資することができれば、逝き戦友の御霊に報告弔うことになる」と戦闘の実相(真実)を書かれることを決心された長谷川氏の英断に深く感謝致します。

是非皆様に読まれることをお奨め致します。
越佐健児の精強誉れ高い歩兵第十六連隊が所在した新発田駐地に現地、我々陸上自衛隊三十普通科連隊が所在しておりますが、我々も「国を守る」というその意志を継いでいくとともに、日本の繁栄と平和を願いつつ逝った英霊の皆様のご冥福を祈りつつ

平成十五年七月三十日
第三十普通科連隊長兼新発田駐屯地司令
一等陸佐 古原 康孝

目次

新発田歩兵第十六連隊十五年戦争
戦野で散った
   戦友の御霊に捧ぐ
新発田歩兵第十六連隊作戦行動図
まえがき
  • 兵隊さん
  • いざ満州へ
  • 北満の地を踏んで
  • 北支事変に出動
  • 北満駐屯地に戻って
  • ノモンハン事変に出動
  • 穆稜站駐屯地に帰還
  • 故国、新発田駐屯地に帰還
  • 大東亜戦争への始動
  • 故国よさらば
  • ジャワ作戦
  • ガダルカナル島戦へ
  • ガダルカナル島に上陸
  • 大地に抱かれて
  • ガダルカナル島戦の最後
  • フィリッピン・ムニオスで部隊再編
  • マライ半島を目指して
  • ビルマ戦線へ
  • 雲南龍稜作戦に進発
  • イラワジ河畔大会戦
  • イラワジ河畔戦線撤退
  • 佛領印度支那に進駐
  • 敗戦
  • 故国に帰る
  • 戦争後記余話
  • 辻政信大本営参謀と歩兵第十六連隊の関わり
  • ビルマ国に残った北村作之丞君
  • 勝者の集い
  • 自著解題
  • まえがき

    私の手元に新発田歩兵第十六連隊の戦病死者名簿が二冊ある。
    昭和十二年の日支事変、昭和十四年のノモンハン事変、昭和十六年十二月八日以降における大東亜戦争(ジャワ島作戦・ガダルカナル島戦・雲南(断)作戦・ビルマイワラジ河畔大会戦)終戦、故国に帰還復員完結。 この間における戦病死者名簿である。
    その数約六千四百数名が記録されている。

    この名簿は連隊歴戦の記録でもある。
    私が入隊年次の昭和十一年より十ヶ年にわたる戦争であった。
    終戦より五十八年の歳月となる。
    この間御遺族からの問い合わせで多くの頁をめくりお答を申し上げた。
    未だ照会は絶えない。

    この名簿をめくる度毎過ぎ去った戦いの様相が鮮明に蘇って地形樹木の状態まで判る。
    この名簿をこのまま保存しておくだけでよいのだろうか。
    この名簿は何かを語りかけている気がしてならない。
    それは何であろうか。

    心霊的からすれば遠い距離ではない、お互いに呼びかけているのだと思う。
    あの戦闘より六十六年という周期を過ぎて歴史として総括されるべき世紀を経ている。
    大正の初期から昭和に生まれた若者達が国家民族の命運が危急存亡にあたり命をかけて戦場に赴いた。 その記録に繋がっている名簿である。
    その叫びを消してはならない。
    この名簿に息づいているのだ。

    この名簿は逝き戦友の血肉の凝縮なのだ。
    これが戦場の実態を留めて歴史の史実として後世に保存したいと思う。
    軍隊の組織や存在については敗戦という結果の影響もあり、偏見や誤解と戦争の実相について目をそむける傾向がある。
    本稿は戦争そのものの是非や本質を見極めようとするものではない。

    また、本稿では戦友個々の全容を詳記し尽すことは出来ない。
    黄塵万丈に舞上る中国大陸に渺茫たるホロンバイルの草原に、南十字星輝くインドネシア・ジャワ島、南冥の孤島ガダルカナル島に、冥府に近い中国雲南山岳に、気候風土、人種民族の異なる戦野に十ヶ年の歳月にわたり青春の血を流した。
    戦場毎の戦病死に対し補充をしてその数六千名を越える犠牲となった。

    平和共存は人類共通の希望とは遠い道であった。
    戦争の本質を見極めるものではないが、戦争を極限すれば戦争とは人間が人間でなくなる、殺さなければ殺される、攻めなければ滅ぼされる。
    民族或いは国家毎に宗教、儒教、騎士道、フロンティア・スピリッツ等を内臓しているが戦争という事象によってそれぞれに意識の中に籠めているのであろう。

    戦野の雑草と褥枕にして戦病の身を横たえて苦しみながら死を迎えた者。
    飛来する弾雨の中に身を曝しアッという間もなく熱鉄を体に受けて息絶える者。
    飢餓と炎熱、栄養失調で水・おにぎりを追いながら果てる者。
    壕の中で体力の限界で燐蠅と蛆に攻められ白骨化する者。
    精神障害で彷徨しながら自分を失って逝く者。
    等々表現も鈍り躊躇する様相が現れた。

    戦場では自分の命を自分で護れないことが多い。
    苦しくとも、淋しくとも訴える人も聞いてくれる人もいない。
    また、助けようにも助けることも出来なかった。
    頼みたいこと、伝えたいこともあったであろううに、今になって知るすべもない。
    孤独の中で息絶えて逝ったのである。

    戦場とは無常なところである。
    この拙い筆では伝えきれない、表現し得ない多くの現象があった。
    人間として生きている?界ではなく、これを超越した冥府の界とも云える場であった。

    筆が止まる。

    どう表現すれば良いのかわからなくなる。

    しかしありのままに、あの戦場この戦場と戦った姿、ありし日を偲び片鱗でもよいから書き残しておきたい。
    このまま冥府に行ったら、お前生き残って何をして来たのかと逝き戦友に叱られる。
    逝き戦友より五十余年を生き延びたが、あれから戦場に或いは敗戦後の一般社会にあっても、あの戦場で共にと誓ったあの戦友と共に冥土の陣地に逝った方がよかったと思うこともしばしばあった。
    人生とはそのようなものかも知れない。

    さて現在世界の各国は恒久平和の願いを求めて懸命に努力している。
    国家を構成せず国家に所属しない如何なる個人も民族も存在しない。
    個人の幸福も安全も国家という集団組織によって補償されているとは言を待つまでもない。
    従って自国の安全と平和は自らの力によって維持されて来た。
    しかし戦争や紛争の要国となっている領土・宗教・民族・資源・経済・思想等多岐にわたって介在している。

    人間社会にあって抑制、制御が出来ないものらしく悲しいことである。
    人類永遠の宿命なのかも知れない。
    改めて過去の史実を残し、是非を取捨送択して教訓として健全なる国家民族の将来に資することが出来得れば逝き戦友の御霊に報を弔うことになると考える。
    私は十九才より三十一才まで新発田歩兵第十六連隊にあって戦場の第一線に立った。

    凡てが実録であって創作や誇張はない。
    齢八十七歳、語っておかねば記憶は去り及ばなくなる。

    長谷川 榮作
    (平成二十二年現在九十四歳)




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