日本陸軍 第二師団 歩兵第十六連隊 新発田 あやめ会 戦記 戦死者名簿 ガダルカナル 雲南 ビルマ ジャワ ノモンハン 遺骨収集 政府派遣
慰霊巡拝 ガダルカナル島の祈り
目次
発刊によせて 巡拝団長 黒川村長・新発田市長
団員名簿
全員集合
位置略図
ガダルカナル島
当時を偲んで
遺骨収集
戦死を報じた当時の新聞 (新潟日報と河北新聞)
慰霊巡拝日程
外務省から日本大使館へ
迎えてくれた兵器の残骸
戦跡を訪ねて
荘厳に慰霊祭を(慰霊の言葉・慰霊祭)
表敬訪問(日本大使館・ソロモン国・ホニアラ市)
ガダルカナル島で
視察報告
帰国後便りをいただいて
うたに托して
オーストラリアで一ぷく(ブリスベーンの春・シドニーの姿)
オーストラリアの想い出
編集後記
=発刊によせて=
ガダルカナル島慰霊巡拝団長
北蒲原郡町村会長
黒川村長 伊藤 孝ニ郎
太平洋戦争も終戦から四十余年の歳月が流れ、今日本は世界でも有数の経済大国として奇跡の様な発展を遂げ、みんな平和な日々を送っている。
戦後、国民の努力は勿論であるが、尊い多くの先輩の犠牲がこの礎となっていることを忘れることはできない。
郷土の歩兵第十六連隊が善戦空しく敗退し、数多くの戦死者が眠る南半球の孤島ガダルカナル島に巡拝して欲しいと、九死に一生を得て帰還された将兵の一人である長谷川栄作聖籠町長さんから度々ご要望があり、今回北蒲原郡全町村長さん、新発田市長さん、新発田商工会議所の十六名の代表の方々、そして生き残りの一人である新潟市の青木さん、遺族の一人である橋本さんの二十九名の巡拝団が九月二十六日成田を出発、香港、オーストラリアのシドニー、そしてブリスベーンを経由し、目的地のソロモン諸島ガダルカナル島ヘンダーソン空港に到着した。
ここが世界戦史上、最大の激戦地であったことは全く信じられない静けさであり、第一歩を踏みしめた時の感激は忘れることができない。
現地では、電気のないジャングルの中のロッジで一晩過ごしたこと、倉成外務大臣のメッセージを福大統領閣下にお渡しし、戦没者に対する同国のご配慮に感謝申し上げたこと、そしてホニアラ市長の歓迎パーティー、思わず涙が出たアウステン山「血染めの丘」での慰霊祭等参加された皆さんが、その感激や思い出を手記として、末永く残す事にしたものであります。
今回の旅が皆さんのご協力により、事故もなくその目的を達したことに心から感謝申し上げます。
昭和63年12月吉日
旧陸軍歩兵十六聯隊駐屯地
新発田市長 近 寅彦
昭和62年10月下旬、新潟県北蒲原郡町村会の海外視察に私や当市商工会議所有志の皆さんが特別参加して、遠く赤道の彼方に浮かぶ一孤島ガダルカナルを訪ねました。
ガダルカナルは日米両国が陸海空の可能な限りの兵力を投入して、太平洋戦争の帰趨をかけ、日本戦死未曾有のの一大決戦がくりひろげられた島であり、わが新発田十六連隊の広安連隊長の壮烈な戦死をはじめ全滅に瀕するほどの多くの将兵が眠る痛恨極まりなき島であります。
私たちはこの島にソロモン国副大統領やホニアラ市長を表敬し、戦跡「血染めの丘」で祖国日本の繁栄を願いつゝ散華された英霊に心からなる供養を捧げました。
そして、この島で私たちは言語に絶した苛烈な死闘の跡に立ち、戦争の悲惨さと共に、なぜ日本は敗れたか、云い知れぬ無念さに胸のつまる思いを致しました。
日米開戦を決断した指導層の誰ひとり勝利を確信しない戦いを民族を挙げて支持し、破壊への道を真っしぐらに突っ込むような愚行を二度と繰り返してはならぬことを教えてくれたのもこの島でした。
私たちは生涯忘れないでしょう。
そして私たちだけがひとり胸に秘めて悔悟するだけでなく、折にふれ国民に語り続け、幾多の将兵の忠誠に報いるためにも、自由で平和な世界の建設に貢献してゆかねばならないと思っています。
この報告書は、ガダルカナルの血戦が終わって四十四年目に慰霊祭に参加した、実際にこの血戦に参加した人たちから全く戦争を知らずに育った人まで、そして色々の立場にある人たちによる報告や感想を収録したものですが、私は単なる報告を超えた現代を生きる日本人のひとつの文化論でもあると信じています。
編集に当たられた加治川村高橋公則村長さんをはじめ多くの方々の御苦労に感謝いたしますと共に、本視察団長黒川村伊藤孝二郎村長さん、ガダルカナル島の戦跡をご案内いたゝ゛いた聖籠町長谷川栄作町長さんはじめ参加された一行の皆さんに心から御礼申し上げます。
===団員名簿===
団長 黒川村長 伊藤 孝二郎
副団長 安田町長 本田 富雄
副団長 新発田市長 近 寅彦
事務局長 聖籠町長 長谷川 栄作
豊浦町長 芹野 秀夫
紫雲寺町長 鬼嶋 正之
仲条町長 熊倉 信夫
水原町長 吉川 正夫
笹神村長 五十嵐 利彦
加治川村長 高橋 公則
生存者代表 青木 丈`夫
総和建設且ミ長 小林 政爾
潟Eオロク副社長 葛見 久衛
滑竭コ組専務 岩村 伴正
活ノ藤組 伊藤 利雄
大進電業叶齧ア 小林 清吉
新菖工業株常務 渡辺 優
富樫医院 理事長・医師 富樫 益郎
吉田農事且ミ長 吉田 邦男
潟Zキカワ専務 関川 正利
新発田商工会議所専務理事 相馬 実
島津印刷椛纒\取締役 島津 憲一
新発田市役所商工観光課長 斉藤 二郎(遺族)
新発田建設椛纒\取締役 渡辺 清
兜l求商店代表取締役 浜崎 求六
新発田市役所社会福祉事務所所長 栗橋 義雄
橋本 保ニ (遺族代表)
鬼木印刷 代表 鬼木 雅治
三井航空サービス添乗員 都築 義男・中村 勉
===荘厳に慰霊祭を===
慰霊のことば
新発田市北蒲原郡ガダルカナル島慰霊巡拝団長
北蒲原郡町村会長 黒川村長 伊藤 孝二郎
二市北蒲原郡ガダルカナル島慰霊巡拝団一行を代表して、慰霊のことばを申し上げます。
私達は、旧新発田歩兵第十六聯隊駐屯地にゆかりの深い近隣市町村の長と、新発田商工会議所会員一行二十九名であります。
光陰矢の如しと申しますが、先の大東亜戦争が終結してから、早や四十二年の歳月が流れました。
皆さんは、ひたすら祖国日本と郷土、そして、家族の将来に思いを残しつつ、炎暑のこの地で、食糧も、水も、薬もなく、加えて武器弾薬もない状態の中、近代化学装備の米軍に対し、素手で立ち向かい、越佐健児の真髄を遺憾なく発揮して、壮烈華と散ったのであります。
今、静かに往時を偲ぶとき、万感は胸にせまるものがあります。
しかし、日本民族は、皆さんの尊い犠牲を無駄にはいたしません。
「戦い敗れて山河あり」のことわざがありますが、戦後焼け野原と化した国土から見事に復興し、今や世界が刮目するすばらしい経済大国となる一方、新憲法のもと、極めて平和な福祉国家に発展したのであります。
また、ふるさと二市北蒲原郡一帯も、関係市町村一丸となって、高速交通網の拡充をはじめ、生活環境の整備を強力に推進してまいりましたところ、産業文化など、みちがえるような発展を遂げたのであります。
これもひとえに、皆さんのご加護の賜物であります。
私達は、ソロモン国政府を表敬訪問して、この地に眠っておられる戦没者の皆さんに対し、長年にわたり大変な理解と、ご配慮を賜ったことに感謝を申し上げ、併せて、今後のことについてお願いしてまいったところであります。
今、ここに眠る皆さんに、ふるさとの水やお米など、ご遺族から預かったものをお供えして、ご供養申し上げる次第であります。
ここに、皆さんの安らかなご冥福を心からお祈り申し上げ、慰霊のことばといたします。
昭和62年9月30日
慰霊のことば
新発田市長 近 寅彦
本日ここに、ガ島戦役戦没者慰霊祭が挙行されるにあたり、謹んで慰霊の言葉を申し上げます。
英霊は過ぐる大戦において、ひたすら祖国日本の繁栄と、同胞の幸せを念じ、一身を顧みず、国の楯として散華されました。
何ものにも代えがたい尊い生命を祖国に捧げられましたことは、国民にとって永遠に忘れえぬ深い悲しみであり、痛恨の極みであります。
今、ここに、ありし日の英霊のお姿を偲び申し上げますとともに、最愛の肉親を失われたあと、あらゆる困難に打ち克ち、営々と努力してこられた、ご遺族の方々のご苦労をお察しするとき、万感こもごも胸に迫るを禁じ得ません。
ひたすら英霊のご冥福と、ご遺族のご多幸を心からお祈り申し上げます。
光陰まさに矢のごとしとか申しますが、戦後四十二年が過ぎ、英霊の加護のもとに祖国日本は、今や世界で最も平和で、自由な国となり、また、経済的にも大きな飛躍を続けてまいりました。
英霊のふる里新発田も、人情味豊かな緑あふれる田園文化都市として、これまで市民の総力を挙げて、社会資本の整備をはじめ、健康、福祉、教育などの数々のモデル事業に取り組んでまいりました。
また、今年は、市制施行四十周年を迎える記念すべき年であり、この節目の年を機に、来るべき二十一世紀に向けて、阿賀北地方の発展に貢献できる中核都市づくりを大きな目標に、大いに努力しているところであります。
しかし、悲しくも英霊遠くに去りて、共にご覧いただけないことは、誠に残念でありますが、私たち市民は、英霊の尊い犠牲を無にすることなく、再び悲惨な戦争のおろかさを繰り返さない決意を一層新たにし、さらに、努力してまいる所存であります。
本日の慰霊祭に臨み、霊前に香を献じ、英霊のご冥福と、ご遺族皆様方のお幸せを心から祈念申し上げ、慰霊のことばといたします。
昭和62年9月30日