冥府

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冥府の戦友と語る

ビルマ戦線へ

我々に正月休みは与えられなかった。
しかしあの餅おいしそうであった。
ガ島戦線で逝くなった二千八百名の戦友には特に食べさせてやりたかった。
イポーでは毎晩山腹にドラム缶での風呂であった。
生まれ変わっての出陣であった。
泰緬国境を越えて汽車が停まると、どこからともなく人なつこい瞳をしたビルマの子供達が寄ってくる。

前進部隊が教えたのであろう。
上手に日の丸行進曲や軍歌を歌って歓迎の意味を籠めて笑顔で手を振る。
マライの人達よりも親しみが感じられた。
ビルマは既に戦陣を切ってインパール戦を闘っている。
我々はその援護部隊としての任務であろう。
第一大隊は印度洋ベンガル湾に突き出た、パコダポイントに駐留した。
警備という任務である。
連隊本部はバセインに駐留した。
その他グワ等にも別れて駐留した。



第一大隊はベンガル湾に面したパコダポイント及びキャウキャウという集落に露営駐屯をした。 全くの露営である。
毎日々々が原始生活であった。
海岸より奥まった深い竹林の集落でありベンガル虎の住むところであった。
現地人の家は高床式で中央に虎が入って来ると、穴の中に落ちる仕組みになっている。
生えいる竹は日本の竹と違って節の長さが一メートルもあって群生している。
現地の人達はこれを利用して竹筒の中に餅米を入れてこれを蒸して保存食とする。
近くの入り江にダイヤモンド島とよんでいた島があって無人島で亀の生息地となっている。
毎日現地人が小船で亀の卵を売りに来る。

従って卵が常食のようになった。我々の栄養源ともなった。
それにしても多くの亀が住んでいるものだ。
ベンガル湾の日々も薄暗い竹薮の中で退屈な時間であった。
警備という任務ではあったが事実は待機であった。
昼尚暗い竹林の中で、若さがあの時間の空間を埋めてくれた。
若い生命力、活動力は常に先を求め期待があり、明日という日を待って今日が過ぎてゆく。

我々のわからない、知らないところを時間が流れ通って行ったような気がする。
人生の中の空間であったような気がした。
得られたものは何もない。
遂に出動した、ラングーン・マンタセレー・ランス・瑞玲・龍稜・と雲南の山岳戦である。


メイテクーラへの道




マンダレー王城附近を歩く僧侶達




インパールへの道、冥府への道でもあった。




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