冥府

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冥府の戦友と語る



いざ満州へ

入営して三ヵ月間厳密なる計画に基づき基本訓練が終了すると、第一期検閲が行われその成果が試される。
その演習は大日原演習場である。
この機を待っていたかのように新発田歩兵第十六連隊に臨時編成下令、満州派遣の命令が下達された。
その目的も理由もわからない、国家事情や国家情勢もわからない。

この日を機に我々は兵として自信を持ち加えて満州派遣という任務負荷で一青年から兵士らしさに変わった。
昭和十二年当時の我が国、特に農村社会は不況に喘えぎ閉ざされた環境にあった。
この頃我が国は国際社会を生き抜く為に懸命な努力をしていたが厳しい情勢にあった。

昭和十二年四月十四日渡満の出発命令は下された。
歌にまで親しまれた遠い未知の国への旅立ちである
。 若い血潮は何かしらうづくものがあった。
日増しに緊迫感が漂った。
満州は我々の常時訓練における仮想戦場の地である。

我々の脳裏に描かれている地でもある。
過去において新発田歩兵第十六連隊は彼の地に出征して、シベリア出兵、日清戦争、日露戦争、満州事変等で多くの地を流し語り継がれ来た宿縁の地である。
歌に、

       ここはお国の何百里
    離れて遠き満州の
    赤い夕日に照らされて
    友は野末の石の下


戦友と題す

この歌は前記の事変戦争を詩った哀歌であった。
我々も少年時代から青年時代に愛唱した歌であった。
テンポをゆるくすれば青春の感情をくすぐる哀歌になり、行進に合わせれば行進曲となり士気を鼓舞され血潮を煽った。
即ち非歌・挽歌・哀歌・行進曲等、当時の世には国民的に愛唱された。

我々は暗く不況な農村に育ち、国策により新しい出口、新しい大地を求め、夢見て多くの青年が憧れた大陸でもあった。
我々の部隊が常備兵力の平時編成から臨時編成に切り替えられたということはそれなりの目的があった筈である。

軍の命令とは命ずるのみでその理由は付帯してない。
たとえ理由を示されたとしてもそれに対する理非曲直を問う事は許されることではない。
個人の恣意によって左右されるとすれば生死を国家民族の命運に関わる部隊目的は遂行出来ないことになる。

昭和十二年四月十日栄庭の桜?も散り早春の栄前練兵場は若草の緑が鮮やかな日和を浴びていた。
故郷集落、鎮守さまの春祭りの日である。
田圃では苗代こしらいで忙しい。

この日祖国故郷を後に満州へ向かっての出発命令が出た。
出発である。
ラッパ隊を先頭に軍旗が行く、吹奏されている進軍ラッパに鼓舞されて堂々の隊列を組んで新発田駅に向かって営門を後にした。
ラッパの音は大空を越えて越後山脈に谺しているようだ。
演習行進ではなく進軍ラッパなのだ兵の志気は勿論であるが営門より沿道に詰めかけた市民の熱気が伝わって来る。

まさに出征兵士である。
兵達も心は華やいで決意も漲(みなぎ)った、郷愁はいささかも感じなかった。
こうして営門を出て祖国を後にした将兵は昭和十二年に出動の支那事変と昭和十四年のノモンハン事変に出動して約三百名の人達は故郷へ帰ることはなかった。
将兵の胸にはそれらしい予感はもっていた。
悲壮感ではなくても決別感はあった。

乗船する新潟沼垂埠頭も郷土部隊の門出ということで見送りの人で埋まっていた。
乗船を待つため埠頭道路に休憩している兵達にお菓子やいろいろな包を詰めこむように渡してくれた。 戦時色を想わせるあの日の光景は我々の脳裏に消えることなく残った。
国民も国家が国際社会に生き抜くために苦悩している状況は以心伝心で肌に感じ受け止めていた。
従って前線に向かう兵士達に心を籠めて祈るような気持ちで接している様子が暗黙のうちに掴みとれた。

国防婦人会のタスキをかけた多くの御婦人方は我々の軍装姿に万歳を籠めて熱いまなざしを注いでくれた。
山の下紡績会社工場の女工さん達は船に乗って手に手に日の丸の国旗を振りながら信濃川河口港の出口まで見送ってくれた。
タラップを登って乗船する兵達の背嚢には軍用品の他にいっぱいに膨れていた。

見送りの方からの暖かい贈り物であった。
あの熱気に溢れた情景は永く我々の記憶から消えることなく戦陣の癒しとなった。
また、大陸で散った戦友の御霊に対する葬送でもあった。
乗船をした輸送船の中は暗くペンキの臭いが船酔いを増幅した。

甲板上に出て地平線に沈んでゆく越後山脈と故郷の姿は若さの感傷と共に深く胸に刻みこまれた。
日本海は荒海である、殆ど船酔いで船室に寝転んでいる。
四月十一日新潟港出港、十四日朝鮮羅津港に上陸した。
ここは猛吹雪である。

僅か三日間の船旅で気候の違いが異国の想いを更にした。
港の裏山には一本の樹木もなく、赤色の山肌が荒々しくむき出しになっている。
異常な光景を目にして異郷の地形は故郷日本の美しさを思い出させた。
加えて猛吹雪である。
日本では田圃仕事が始っているのに風土の違いに驚いた。
故郷を離れて初めて異国の地を踏んだのである。
異国の一歩はこれからどのように展開をしていくか予測もつかない。
すべてがわからなない。
下士官も兵も殆ど独身である。
国家に委ねた人生だ、まつわりつく何ものもない、自分を信じ国家を信じ行動してゆけばよいのだ。 明日は朝鮮国境を越えて満州に入る。




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