冥府

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冥府の戦友と語る



ビルマ・イラワジ戦線撤退

昭和二十年三月十日タリンゴン陣地より撤退命令、陸軍記念日である。
皮肉にも一致した。
九ヶ年の歳月、戦野に伏し、祖国を憂い、死の渕を渡り歩き、貴重な人生、帰ることのない青春を失った、この日また悲しい撤退の行路、いづくを求めんとするか。
草原に帰らない旅路に立った戦友もいるのだ。
祖国の運命が暗い運命に向かっていることが感じてならない。
マンダレー街道は敵の制圧下にあり通れない。
横切って東方へ進む。



このことを察知、敵は横断部隊を銃撃、同集落出身の七中隊藤田重雄君は惜しいところで戦死。
カロー・ロイコーを経て尚東方に進み泰緬国境に近いシャン高原に向かう。
まさに落ち武者、敗残兵である。
戦いに敗れ、死ねなかった兵達の道行きであった。
敵兵はここまで追って来ない。
カローを過ぎてもシャン高原は遠い、サボテンの中に入った。
背丈以上に伸びたサボテン林を縫って歩く。

        
敗退の道

暑い陽ざしに焼ける砂、緑は何もない、草も木もない、行けども行けどもサボテン林である。
人間は住めない、水がない、喉が乾いて我慢が出来ない。
サボテンの葉を吸ったら渋いやら、にがいので呑みこみは出来ない。
口の中がおかしくなる、小便も出ない、呼吸の脈拍で指先がズキンズキンと痛くなる。
三日目脱水症状で死者が出た。
判断力も思考力も鈍って来る。
朦朧として話すにも舌がひついて思うようにろれつがまわらない。
あと一日はもたない感じがする。

夕方、天の恵みか集落に一つ井戸発見の報せあり。
水死というが水を呑めないことも水死なのだ。
さあ、井戸に群がった。
みんな命がけなのだ、汲み上げても飲めない。
みんな取り合って口に入らぬうちにこぼれるのだ。
こんなところにも人間の醜さ浅ましさを露呈して淋しく感じた。
ようやく口の中に入れても胃袋を素通りして、手の指先、皮膚から水漏れがしたようにはじき出される。

人体の七〇%が水からなっていることがよくわかった。
ガダルカナル島戦の飢餓より短時間に襲われた苦しさであった。
人間は自然と共存して、凡ゆる植物、生物の生命体との融合しながら生きているのだ、 とよくわかった。
水のお陰で命が助かった。
カレイン族の住むビルマ国境地帯は険しい山岳である。
落伍者が出ても救いようがない。
落伍はすぐ死に繋がる。
非常で非道なものである。

首長族とも云う、彼等の集落に迷惑をかけないようにしたいと思った。
こんなところに、ひっそりと暮らしている彼等に対し戦争の余波を及ぼしてはならない。
従って集落内に入らず外側に休憩した。
彼等の作った細長い赤い米を調達して、鉄帽で搗いて食べた。
妥当な価格で支払ったかわからない。
少なからず迷惑をかけたことだろう。
あれ程の部隊が通過したのだから。

この撤退行軍の中に痛ましい光景があった。
軍人でない一般人男女の邦人が軍隊の陰に隠れるように隊列に加わっていた。
日本人の逞しさに頭が下がる思いがした。
こんなにも多くの日本人がビルマの奥地に来ているとは考えられなかった。
ひの背にはもう使えなくなった軍票が詰めてあった。
この人達が命を賭して稼いだ宝であろうに、失望するようなことは云えなかった。
この人達も戦争被害者だと思うと気の毒でたまらなかった。
一生懸命に我々と共に歩いた。
どこまで行くのか、あてがあるのか。

敗退とは云っても久しぶりに戦線から遠ざかり、自然の景色が美しく穏やかに目に映った。
日本に似通った風景も見られ故山に帰ったようにも思えた。
この先にどんな任務が待ち受けているのか何も伺い知ることはない。
ただ歩くのみ。
モーチ鉱山の山腹を縫ってサルウィン河を渡り、四月二十二日泰国へ入り、バンコックで一泊のみで、佛領印度支那のゾンホア州、ロンタンに到着した。
バンコックには経由の一泊のみであった。
タイ国は今次戦争には全く無関係であり静かな一夜を過ごした。
戦争の匂いすらない、静かな街の中は平和な笑顔で歩く姿が印象的であった。



バカンの夕陽




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