冥府

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冥府の戦友と語る

フィリッピン、ムニオスで部隊再編

ガダルカナル島を撤退、ブーゲンビル島エレベンタら上陸、ここでガダルカナル島の死装束を脱ぎ新しい服に着替えた。
尚ここではガ島脱出後の後始末が待っていた。
戦病死者や生存者に対する身上事務、戦時、陣中日誌等であるが体調の関係もあり思うように捗らない。
しかし事態は時間を許さなかった。
暫しの休養もままならず、乗船が命令された。
時局は甘くないのだ。

暫しの休養もなく乗船である。
南海の眞只中をゆく、羅針盤はどこを指しているのか。
敵の死角を縫って美しい珊瑚礁の入り江に停泊した。
上陸をして食糧の補給をした。
パラオ港であった。
岸壁の倉から積み込みされたのは樽詰めの「ウニ」であった。
随分と多くの食糧が積まれてあった。
ここは戦場にはなっていない平和であった。
白い日本のご飯に「ウニ」のおかず、こんな美味しいもの食べたことはない。
これが極楽浄土かと思った。
勿体ない逝くなった戦友にも味わせたかった。

この頃変わったことがあると逝くなった戦友にもと思い出す。
再び静かで美しい海をすべるように走る。
出港着いたところはフィリッピン、ルソン島、マニラ港であった。
危険な海域を無事乗り切ったものだ。
その後マニラの北方ムニオスに到着駐留をした。
エレベンタとムニオスでの補充員も充足され部隊編成も出来た。

殆ど郷土出身者である。
要するに越佐健児に変わりはない。
部隊長も堺吉嗣大佐に変わりはない。
但し第一中隊長の川勝正夫大尉の体調が思わしくなくて入院されて淋しい。
新発田、満州以来連隊の中核的将校であったのに。
戦闘単位を失っていた連隊は人員、資材の補充を前記のように終えた。
ここムニオスは日本と同じ田園風景である。
マンゴ林が多く、少女達が鶏の卵売りに来る、大切な収入源であるようだ。
のどかな農村風景である。
なんとしてもやらねばならぬことに、ガ島で逝くなった戦友の御霊を故国に返さなければならない。
どんな姿で、どのように送還するか。
御遺骨はないのである。

しかしこの御佛だけはどうしても送り届けなければ一歩も動けないのである。
予めエレベンタで用意をして来たお姿には霊が籠っている。
それを通常の遺骨帰還と同様な木箱に納め白布をかけ送還することにした。
送還人員を選定して準備も終了無事完了した。
次いでガ島戦以来の人事、功績、死亡、等膨大な事務処理が残っていた。
これも早急に処理を必要とした。
約五ヶ月の滞在期間でで終わった。

連隊はここでジャワ作戦、ガ島作戦と戦闘を経て多くの指揮官、兵員、資材の減耗を来たし、更なる戦場を求めての行動が求められている。
我々は生存を得ている限り戦争を継続しなければならないのだ。
そのときが来た。
マニラ港よりの出港である、南十字星に向かって。




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