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冥府の戦友と語る
聖籠町苦節四十年の歩み
「聖籠町苦節の四十年史」の発刊に寄せて
聖籠町長 渡辺 廣吉
昭和三十年の町村合併で新生の聖籠村が誕生し、その後、昭和五十二年に町制を施行して以来四十六年有余の歳月が流れようとしています。
本町にとって、この歳月の流れは「21世紀に羽ばたき大きく発展する聖籠町・緑ふれあい夢づくり…町民参加で豊かさの実現」を目指して町づくりを推進してきた大切な時間であり、時々に町民の不断の努力と、ひたすら町制の発展を願いご理解と協力をいただき英断してきた賜で、20世紀後半の町づくりの布石に値するものと言えます。
特に昭和三十年代は、三割自治体にも乏しい財政状況で厳しい行財政運営を強いられてきた現実も承知のとおりであり、よく町民から要望があっても「佳根のないのが話の終わり」と言って諦めざるを得なかった現状でありました。
しかしながら、本町にとっては幸か不幸か昭和三十年代後半に新潟東工業港開発計画が発表され、東湊造成事業がスタートし広大な港湾用地や工業地帯の土地買収がはじまり、買収にあたっては住み慣れた故郷を離れ先祖伝来の宅地や田畑を売却し、大小500戸を超える大集落移転に協力、そして工業団地の造成で企業立地等が進められてきました。
企業立地にあたっては、郊外問題で町を二分する公害闘争の中で町議会の議場を占拠されるという前代未聞の経過を辿りながらも町民合意のもと誘致された企業もありました。
こうして町民の皆さんの大義にたったご理解とご協力のお陰で昭和五十年に入ってからは、東港工業地帯に立地した企業からの税収の大幅な増加等で財政的にも潤い、県下に数少ない国からの地方交付金の不交付団体の指定を受けるに至りました。
これまでになかった町づくりが町民要望のもと容易に進めることができる財政力豊かな町として発展する事が出来たのであります。
このたび、このような町の変遷に直接関わった前聖籠町長 長谷川栄作氏自身の約22有余に及ぶ永きにわたる期間、元聖籠町長 平野力太郎氏や合併前からの首長に助役として町制を支えてご苦労された出来事。
更に町のみなさんの絶大なご信任のもと平野氏の後を受け、連続三期無投票で選任され激動の12年にわたって町制を担当してこられた苦節40年の歩みを振り返り「聖籠町苦節40年史」として一冊の本に纏められました。
長谷川氏が今日の本町発展のためにご尽力されたご功績は、今更語っても語りつくせぬものがありますが、この「聖籠町苦節40年史」は、これまでの町の出来事や歴史は生きた証言として後世へ言い伝えられて証として残されると信じて止みません。
最後に、激務の町制運営の中にあって、よくぞここまで詳細に忘れず回顧できたのか驚き感嘆し、深甚なる敬意を捧げる次第であります。
「温故知新」…「古きを訪ねて、新しきを知る」…地方分権の推進や市町村合併問題などで課題が山積している今日、住民自治を大切に「町民とともに歩む開かれた町制」を基本姿勢に、長谷川氏の残された貴重な行政資料を町制運営の糧として活かし、町制発展のため努力させていただきますことを誓い、長谷川氏の益々のご活躍とご健勝を祈念申し上げ、発刊に寄せる挨拶とします。
目次
一
二
三
四
(1) 海岸砂丘地の開発
(1) 新潟東港開発計画誕生の真相