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冥府の戦友と語る
聖籠町苦節四十年の歩み
渡辺得司郎村長の英断
(2)海岸無雪道路の建設
現在の国道113号線には重ねられた歴史物語がある。
前記の海岸砂丘地の振興対策事業に伴って渡辺村長が付帯的に提起建設をされたものである。
海岸砂丘地を開発するためには、なんとしても道路建設が不可欠な条件であることを説いた。
当初、海岸無雪道路と呼称して計画された。
海岸地帯は降雪が少ない。
畑作振興のためのみならず、松浜のガス化学、中条の日本鉱業・協和ガス等の企業や新潟交通等一般交通の要にも供し得るとして取り組みをした。
その意とするところは、
・ 現在共用している国道七号線のみでは、将来の車輌交通社会に対応が出来なくなる。
・ 海岸砂丘地帯には新規の開発に共用し得る道路がない。
・ 沿線には地下資源の開発も期待され、道路の必要がある。
・ 漁業の振興対策としての必要性。
・ 観光・海岸レジャーとしての必要性。
・ 地域間の交通と物流の利便に供される。
・ 何よりの利点は積雪量が少なく、効率的に交通確保ができる効果。
という趣旨を説いて促進をはかった。
時あたかも国として一兆円の予算で道路整備五カ年計画を策定発表したところであった。
これらを見定めて逸早く提起をされた村長の卓見であった。
これがため実現は既定の事実かの如く極めて早々に着工された。
用地買収は急がねばならなかった。
取あえずは加治川の橋の問題がある。
大事業である。
現在の次第浜橋のことである。
道路の出来ないうちに橋の許可が出たのだ。
連日、県職員とともに左岸から次第浜漁協の船を借りて右岸に渡り、路線の確定測量をして、買収業務に奔走した。
右岸地帯は加治川の掘削のため土砂に埋もれて境界が不明確となり、林の間をもぐり虫に刺されるなどの苦労があった。
この道路が完成後、国道三四五号線となり、間もなく一一三号線に延長路線となり、この道路が新潟東工業港の造成背後地機能として万全の役割を果たすことになる。
加えて、平成七年に認定路線となった。
新潟〜仙台間を結ぶ地域間高規格道路へと繋がって、将来は仙台〜新潟間の高速道路体系となり、効率は計り知れなく増幅されてゆくことになる。
因みに次第浜は昭和四十四年五月三十一日に完成をした。
総工費一億三千五百万円であった。
昭和四十一、四十二年の連年水害によって加治川の破堤後であった。
あの橋を渡るごとに、ずっと昔からあったような気がするが、新しい歴史である。
これが業績を讃えて、次第浜の左岸の袂に渡辺得司郎翁の顕彰碑が故衆議院議員稲葉修先生の揮毫で刻まれている。
時には立ち止まって往時の偉業を偲んでいただきたい。