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冥府の戦友と語る
聖籠町苦節四十年の歩み
新潟東港開発の訪れ
(2)新潟東港及び後背地計画を取り巻く諸情勢
この事態、我が国も戦後の国際関係も修復され、工業化が進み、特に裏日本へと目が向けられつつあった。
表日本は急速な工業化によって環境汚染等の公害問題が発生して対応に苦慮をせまられていた。
一方、第一次産業である農業は機械化によって専業と兼業に両極分解がなされつつあり、これに伴って農村における浮遊労働力が問題化され、加えて子弟教育は高学歴指向となり、農業離れが多くなり、就労の場を求める要請が高まった。
従って自治体は地元に就労の場を求め、一方には企業の誘致によって財源を得ようと懸命な努力をして、活力を求めた。
しかし、企業立地の条件整備は簡単なものではない。
こんなとき、忽然と浮上した新潟東港及び後背地開発計画である。
当然のこと受け入れに躊躇すべきでない。
しかし、計画区域の中には数百戸の方々が農業を主体とした生産を営んでいる。
また海面漁業者の問題等解決をして、住民の生活を保障してゆかねばならない諸問題がある。
しかし、当然対応をしなければならない。
ここで怯んではならないのだ。
国家としても農業立国から脱却して、工業国として国際社会に伍して行くべく、重化学・電子産業を先端産業として乗り切ってゆくことに方針とされた。
昭和三十七年九月七日の新聞紙上には新産業都市建設計画なるものが発表され、さらに国土開発があらたな局面を迎えようとしていた。
既に茨城県鹿島臨海工業港及び後背地計画地域は指定地域を確保すべく活発な運動が展開されており、我が新潟東港もいずれこの波に乗ることになる。