日本陸軍 第二師団 歩兵第十六連隊 新発田 あやめ会 戦記 戦死者名簿 ガダルカナル 雲南 ビルマ ジャワ ノモンハン 遺骨収集 政府派遣
続・越佐健児の石碑(いしぶみ) 第二部 新発田西公園所在の石碑・塔群
二、新発田西公園所在の石碑・塔群
(第五号 ガダルカナル島戦記念碑
余 滴 「ソロモンの墓標」(堤徳一著)より
ガ島戦とは
ひとつの飛行場に二万二千の人命。
その二万二千の大きな犠牲を払っても、なおひとつの飛行場を奪い取ることは出来なかった。
これをもってしても戦争は時の運であるというのか。
どこかに作戦上の重大な欠陥があった筈である。
それを知らずして次々と兵力を送り込み、武器と食糧を与えず、ただ速やかに飛行場をとれという。
このような大本営の無謀な追求によって決行されたガダルカナル作戦で、同島に投入された日本軍三万二千人。
うち戦死せるもの二万二千人。
命ありて帰還せるもの一万人。
だが、戦死二万二千人の内訳をつぶさに点検すれば、うち餓死せるもの実に八割の一万七千余名に及ぶという。
しかも、その半数が世界の戦史に精鋭とうたわれた第二師団の将兵であろうとは。
天地に仰伏してその霊に慙愧(ざんき)しなければなるまい。
第六号 ビルマ戦慰霊平和塔(通称パゴダの塔)
余 滴 「終戦の詔書より
(1945年=昭和二〇年八月一四日)
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰スル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵薗スカ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯クノ如クムハ朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ~霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ開放ニ協力セル諸連邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳へ確ク~州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ演リヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
御名御璽
第七号 (新設)歩兵第十六連隊軍旗奉焼之碑
余 滴 鎮魂歌2題
国の鎮め (神社参拝のとき用いた)
国の鎮めのみやしろと
いつきまつろふ神みたま
今日のまつりのにぎわいを
あまかけりてもみそなわせ
治まる御代をまもりませ
足曳き (軍旗に対する敬礼のとき用いた)
あしびきの
山辺とよもすつつの火の
煙のうちにいちじるく
きおへる旗はかしこきや
我が大君の御手づから
授けたまへる御軍(みいくさ)の
しるしの旗ぞわがともの
軍の神ぞ我がともの
軍の神と仰ぎつつ
進めや進めますらをのとも
(参考文)仙台第二師団